【札幌市議会議員として2年間、走り続けて感じていること。(前編)】
※超大作です。自分へのメッセージ要素も満載です。
≪前編≫政治家であることへの想い
多くの方々からの期待とお支えをいただきまして、清田区民そして札幌市民の代表となり令和5年5月より札幌市議会議員として活動を続けてきております。
1期4年のうち、2年が経過致しまして折り返しとなりました。
今の率直な想いをここに記録しておきたいと思います。
両親から授かった命への感謝、それを未来に繋ぐ責任、そのために自分という一人の人間ができることは何なのか、そして人生で2度も死んでいてもおかしくない経験をして生かされていることを真剣に考えて辿り着いた答えは「①子どもを増やす。②無限の可能性がある子ども達が活躍しやすい環境を整える。」この2つでした。
①「子どもを増やす」は、結果として経済や社会保障を支えることになりますが、そんなことではなく、単純に私自身が5人の子どもに恵まれ大家族としてワイワイと時間を過ごしてきた中で、人生における幸せとはこれ以上のことはないと思っているからです。子ども達との戯れの時が最も幸せな時間だと、年齢を重ねるごとにその感情は強くなっています。価値観はそれぞれだと思いますが、本質はそう思える「感謝の心」だと自分では理解をしています。自分ではない誰かのために必死で生きる、生きられるという「思いやりの心」でもあります。
②「無限の可能性がある子ども達が活躍しやすい環境を整える」については言葉の通りで、しっかりと考えて誰かのために社会のためにとる行動を尊重してあげられる世の中にしていくということです。私達大人は自分の経験以上のことを子どもや若者に認めることが難しいと思いませんか?その行動は彼らの可能性を摘んでしまうことになるような気がしています。感情のコントロールは本当に難しいものです。だからこそ仕組みや構造を整えていくことが大切だと考えています。人は若ければ若い程、可能性に満ち溢れています。そのために環境を整えます。
これらを明確に意識できるようになった話は、また別の機会に。
明確に意識をして強烈な責任感と使命感を持って生命保険営業としての仕事にも取り入れ、PTA、町内会、青少年育成委員そして山田塾と自分が考え得るおおよその子どものためになる活動にも取り組んできました。
そして多くの経験を積ませていただく中で、世の中の仕組み、つまり何かを変えようと思った時に物事を決めているのは政治であると自分なり結論を持ちました。
27歳3人の子どもを持った時に世の中の仕組み不信になり政治に関心を持っていたものが、34歳の時には将来政治の世界に進むことを決めて、政治により強い関心を持ちました。政治の世界を勉強するために自ら門戸を叩き、経験を積みながら自分の理念を達成するためにどのステージを目指すのが良いのかを考え続けてきました。
生命保険営業として多くの方と時間を共にし、時にはお客様の死やご遺族との時間が人生を深く深く考えさせられる(あえての表現です)機会になり、私の感謝を突き詰めて考えたゴールは「日本に産まれて良かった」と「与えていただいた命を未来につなげる」ということでした。それを自分に出来ることに落とし込んだ時に「日本にとって北海道はこれから更に重要になる。北海道が良くなるためには絶対に札幌市が鍵になる。札幌市は我が子の故郷である。」と、思い至りました。
「よし!札幌市を子どもと笑顔が溢れる街にしよう!」
単純なんです笑
よく誤解されることなのですが、子どもに力を入れるということは子ども政策だけをする訳では決してありません。全ての目的を子どもにすることで、今行っていることが未来につながるのか?と考え、自ら声を挙げることはない「子ども」や「守ってあげなくてはいけない方々」や「未だ見ぬ未来の子ども」を想像することこそが大切なのだと、そう思える人が増えるためにどのような政策が必要なのかと、私の思う政治・政策とはそれを以って人の意識がどう変わっていくのかに傾注しており、その意識こそが人を動かすのだと信じています。
さて話は戻り、34歳から4年経ち38歳です。
私は人に最大限フォーカスした教育環境を提供する学校を作るという夢を持ち、その夢と政治家を両立させるために54歳で立候補しよう。そう決めて計画を立て行動をしました。夢を口にして行動するのは簡単なことではありませんでしたが、幸い山田塾などで関わる学生達がどんどん輝いていくのを目の当たりにして勇気をもらいながら進むことが出来ていました。本当に有り難いことです。
そして41歳の時に「市議会議員に立候補しないか?」と打診を受けて決心には半年の時間が掛かりましたが自分が議員になったら何をするのかは具体的に考えました。
≪後編に続く≫